石川裕人百本勝負 劇作風雲録

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第十三回 『百年劇場』というメルクマール。

  テント芝居との決別などと決意して”OCT/PASS"を旗揚げしたが、舌の根も乾かぬ’96年にはテント芝居に戻った。なんといういい加減さであろうか。というよりこのことでわかったのは、やはり私はテント芝居を捨てられないということ。無駄な決意は精神衛生に悪いということだった。

 そのテント芝居の前に49本目「百年劇場」仙台座幻想を書き下ろす。これは仙台市主催のシアタームーブメントの記念すべき第1回の公演となった。プロデューサーから仙台にまつわる話を書いて欲しいというオーダーがあり、図書館に通ってネタを探した。テーマを決められて書くのは意外と大変な仕事だと言うことが初めて判った。だが、良いネタに巡り合えた。それが仙台に存在した劇場=仙台座であった。仙台の演劇熱の地下水脈は戦前からある多くの劇場と映画館につながっているという確信を元に「百年劇場」は書かれた。上演は大成功に終わり観客動員数は現在まで続く演劇プロデュース公演中、ナンバー1の記録を保持している。関わったスタッフ・役者も100名を越え、市民演劇の端緒ともなった。打ち上げはあまりの収拾のつかなさと、その騒がしさで店から二度と来るなと言われた。それよりもなによりもその後の仙台座ブームの火付け役になったことは光栄だった。そしてこの戯曲を書き下ろしたことによって芝居一本で食べていけるかも知れないという確信をもったメルクマールの出来事だった。


        


 50本目「見える幽霊」PlayKENJI♯1が再びのテント芝居である。”OCT/PASS"になって「現代浮世草紙集」と「PlayKENJI」という二つの連作戯曲を手がけるようになる。PlayKENJIは宮澤賢治の作品を換骨奪胎して演劇的手法で組み立て直すという趣向の戯曲である。仙台はテント、盛岡では劇場という二つのヴァージョンで臨んだ。賢治役をやった松崎太郎君は好演したがこれが”OCT/PASS"最後のステージとなった。


     


 左から賢治役の松崎太郎、乳房のある父役の絵永けい、ひげのある母役の小畑次郎。(大槻昌之氏撮影)




51本目「ロード・テアトル そして、さい涯」は「十月劇場」OBの西塔亜利夫・小畑次郎プロジェクトへの書き下ろし。売れない演歌デュオ歌手が最後の賭に出て新曲をレコーディングして、キャンペーンの旅に出るというコメディ。ラストが不条理な展開で終わるところがミソ。新曲も私が書き下ろした。


          


 52本目「転校生」は仙南の児童劇団AZ9ジュニア・アクターズへの初の書き下ろし。この書き下ろしも今現在まで続いているライフワークのような事。小学4年生から6年生までの40人ほどの子どもたちへ毎年よく書き続けているものだと我ながら感心する。しかし、達成感も大きい仕事でもある。自分の演劇人としての立ち位置をいつも問われる仕事だ。子ども向けといってもやさしくは書かない。大人の鑑賞にも堪えうる戯曲を書くことを心がけている。井上ひさしさんが言っていた「難しいことをやさしく、やさしいことを深く」である。なお、AZ9ジュニア・アクターズへの戯曲の詳細はAZ9のHPをご覧ください。(http://www.az9.or.jp/actors/)


          


 53本目「1997年のマルタ」現代浮世草紙集第五話は翌年上演の戯曲。’97年この芝居を持って東京→横浜→大阪→仙台→盛岡→仙台追加公演と巡演した。大阪での公演場所・島之内小劇場はキリスト教会でアングラ全盛期、伝説の劇場で感慨深い公演だった。


       


  絵永けいのすさまじいラストの長台詞は客席を静まりかえらせる力に満ちていた。(深瀬澄夫氏撮影)

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