石川裕人百本勝負 劇作風雲録

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第八回 ワープロで書き始める。

  実にいい加減というか、よくそんなもんでテント屋さんが作ってくれたもんだというか初めて作ったテントは当初支払いのめどが立たなかった。’87年、23本目「虹の彼方に」水の物語三部作最終篇は自前の<銀猫テント>での旅公演で仙台→早池峰(ハヤチネフェスティバル)→福島→山形→盛岡を約3週間かけてまわった。仙台公演楽日の日、テントの代金150万円をどうやって支払うかの会議がもたれる。当時の150万円は結構な金額だ。そこに「十月劇場」の旗揚げメンバーA君が同席していて支払いを肩代わりしてくれることになった。劇団がA君に借金をした。渡りに船とはこのこと。A君は現在も公演のたびに東京から観に来てくれる。もちろんその借りたお金は数年かかって完済している。

 「虹の彼方に」の旅は個人的には過酷だった。仙台公演で高場から飛び降りていた疲労もきていたのか早池峰でのフェスティバルの宴席で右足捻挫をしてしまう。その後松葉杖をついて役者を続けた。冷夏の旅公演だった。

 

           


 その前22本目「ラプソディー」は小畑二郎プロデュース公演への書き下ろし。客演に千賀ゆう子さんを呼んで気合いの入った公演だった。私には珍しい男女の愛憎劇。千賀さんに教えられることが多い実りのある企画だった。

 

           


 24本目小畑二郎氏と当時仙台で活躍していたタレント・今田青春氏のコント・コラボレーション「笑いてえ笑」で本格コントを書き下ろす。


           


 ’88年全国10都市テント公演の制作を決定し、資金稼ぎのための学校公演上演戯曲は25本目「マクベス」。1回公演だったが非常にテンションの高い芝居で東京からわざわざ観劇に訪れたT氏が絶賛してくれた。一人の男に宿った悪夢のような宿怨を描いた翻案劇で’85年の「十月/マクベス」とは全く違う芝居である。

 そして私の代表作のひとつ26本目「又三郎」である。戯曲執筆にしても公演自体としても思いで深いこの1作からワープロを導入した。東芝ルポのCRT型デスクトップだった。確か展示品割引で99000円だった。ワープロ導入で書き方が変わった。下書きをしなくなったのだ。最初からキーボードに向かった。削除・編集が出来るのが強かった。ただ当時のワープロは不安定でフロッピーに保存し忘れると全てのデータが吹っ飛んだ。フロッピー自体も不安定でこれ以降何度書きかけの原稿を吹っ飛ばしたかわからない。しかし、戯曲を書くスピードは格段に上がった。キーボードのタッチ感が脳に適度な刺激を与える、とどこかの専門家が言っていたような気がする。

 約2ヶ月「又三郎」に取り組んだ。賢治が降りてきていた。集中力が途切れなかったのを覚えている。そして原稿用紙160枚の「又三郎」を脱稿した。

「又三郎」は松本現代演劇フェスティバル(大入り満員松本にファンクラブが出来る)→盛岡→秋田湯沢→鶴岡→新潟(役者が怪我をして私が代役を務めるも台詞を覚えていないので大迷惑、伝説の舞台と言われる)→山形→京都(打ち上げで関西演劇人大喧嘩)→東京(汐留で大サーカステントと張り合った)→名古屋→仙台凱旋公演と2ヶ月半の旅公演で劇団の強力な団結力を培った公演となった。


          


 湯沢公演の特別チラシ。左上、テントの外形がうかがえる。テントは耐用年数を大きく越えたので昨年廃棄処分にしたが、シートだけが残っている。今年の「ノーチラス」には使うかもしれない。

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